ブログ

一人暮らしの自分の最期を考えてみる

今年(2017年)は春の彼岸入りが17日で、20日が中日でした。

三連休の形となり、私は東京にいたのですが、天気に恵まれたこともあり、お墓詣りに行かれた方もいらっしゃったかもしれませんね。

そんなお彼岸時に、先日も読みたい本がたまっているお話しをしましたが、ようやくまた一冊読み終えた本があります。

株式会社興山舎発行、内藤理恵子さん著「あなたの葬送は誰がしてくれるのか 激変する供養のカタチ」です。

興山舎さんは最近一部で話題の専門誌「月刊住職」を発行している出版社さんです。

で、この本はその「月刊住職」の連載をまとめたものとのことです。

 

さまざまに参考になった

ところで私がなぜにこの本を購入したかと言えば、もちろん終活関係の仕事の役に立てたいな、という気持ちもあったのですが、それよりも本の帯の言葉に惹かれたのです。

次のように書かれていました。

「全国の寺院住職が推奨する「一人暮らしでも家族がなくても後継ぎがなくてもこれを読めば大丈夫」」

毎度のお話しで恐縮ですが、私も中年の一人暮らしです。

自分が世を去った時にどう送られるのか?と考えないわけではありません。

一方で、そうなってしまえば何もわからないから別にいいんじゃないか というような想いがあることも事実です。

先日も2017年3月17日付の日本経済新聞電子版では「会社帰りに「死んで」みた 終活への関心、若い世代も 」という記事が配信されていました。

記事では私と同世代の40代や50代の方の「終活」に対する様々なアプローチの様子が取り上げられていました。

こういったことを意識し始めている方はどうやら私だけではないようです。

決して後ろ向きな意味合いでこういうことを考えているのではなく、きちんと前を向いて日々生きていく中でこういったことを整理していくということも大切なことではないでしょうか。

そんな考えの中で手に取ったこの本の著者である内藤さんは私よりもお若い方ですが、この本を通して社会問題としてこの問題を調べていくととともに、このレポートが内藤さんご自身の「葬送を探す物語」としています。

その結論として信頼できる菩提寺と寺院墓地を持つことにたどり着いた軌跡がこの本だそうで、冒頭の「はじめに」の部分に次のように書かれています。

「この軌跡が、筆者と同じ立場の人々(単身者・継承者がいない。現在は男性の20%、女性の10%が「生涯未婚」である)にとって、よりよい供養の方法を求める示唆となればこんな嬉しいことはない。」

(内藤理恵子著 株式会社興山舎発行「あなたの葬送は誰がしてくれるのか 激変する供養のカタチ」1ページより引用)

書店でちらと冒頭のこの部分が目に入り、さらに購入して読み始めたのでした。

しっかり読ませていただいて知識としてたくさんのことが参考になり、すごく勉強になりました。

一つ一つ項目ごとに丁寧に取材されていて、今の葬儀に関連することがどのようになっていて昔と比べてどのように変化してきているのかなどとてもしっかり書かれていました。

例えば先日2017年3月15日に産経新聞で「「宮型霊柩車」絶滅の危機 派手な葬送を敬遠され、火葬場出入り禁止の自治体も」という記事が配信されていました。

が、すでに今年の1月に発行されたこの本ではすでに「宮型霊柩車が姿を消しつつあるわけ」という項で細やかなレポートが記載されています。

ちなみにこの宮型霊柩車の件に興味のある方はこちらの本を手に取っていただくか、先程の産経新聞の記事がネットで読むこともまだできると思いますので参考にしていただければと思います。

またいわゆる「終活系」の民間認定資格が乱立していることについても触れられていて、この辺りは私も同意するところが多々ありました。

先日も知人と話をしていた際に、ある民間認定資格のことでお話しをしていたのですが、どの資格が信用できるのかは消費者の立場からすればわかりにくい側面があることも確かでしょう。

またこれは自戒もこめて思うところではありますが、どのような資格を持っていてもその信用力のようなものに頼ってはいけない点は、当然のこととはいえあらためて気を引き締めなければいけないところではあります。

これからもしっかりと経験と勉強の積み重ねです。

 

自分の葬送は・・・

ただ、この本を読んで自分自身に何か反映できることがあったのか?と考えるとちょっとその部分についてはちょっと釈然としない気持ちも残りました。

もともとこの本は「月刊住職」に連載されている本である以上、各お寺さんに対して世の中の葬儀などの流れに対する示唆をする側面もあるのかなと思いました。

また最近いろいろなお寺やお墓に関する本を読んでいく中で、葬儀社主導のビジネスモデルというものに対して懸念をいだいているお寺さんもあるのだなと感じています。

確かに人の最後の場面があまりにビジネスの世界の色が強くなりすぎることはどうなのかなとは思います。

とはいえ何もわからない状態では葬儀社さんに色々と頼る部分も大きくなるところはあるでしょう。

また以前のような近隣の方にお手伝い願ってする葬儀等は徐々に難しくなっている部分もあると見聞きすることもありますし、仮に直接お寺さんにお願いするとしても代々の檀家さんでなければどのようにお寺さんとコンタクトをとっていいのかわからないということもあるでしょう。

さらには法事などでいくらおつつみすればいいのかなどで今一つわかりにくい部分も多く、またお寺さんというだけで一見敷居が高く感じる部分もあるかもしれません。

実際これは私自身が親父の葬儀の際に家族で悩んだ部分でもあります。

(この辺りのことは以前に人が亡くなってから葬儀までどう進むのか?~私たち家族の事例から その2~というお話しの中で触れていますので、あわせてお読みいただければ幸いです。)

檀家さんについては日ごろからのお寺さんとのお付き合いは重要だと思いますが、それが無いまたは疎遠になっている方にとっては近隣のお寺との関係を築いていくということはけっこうハードルの高いことかもしれません。

またお墓のことも以前からお話ししていますが、親父の骨をいまだに手元供養している状況の中、また私に後継者がいない中、弟の意見も考慮しつつ誰が守っていくのかなど考えれることがあります。

とすればもしかしたら檀家としてのお付き合いが負担になるかもしれない、と考える部分はやっぱりあるわけです。

誤解のないようにいっておくと私は先日座禅体験のお話しもしましたが、お寺さんにお邪魔したり、法話を聞いたりすることは嫌いでありません。

仏像を見たりすることはむしろ私の中では好きな部類に入ることです。

でも正直なところこの本を読んで自分自身の後始末をお寺さんにお願いしようとか、きちんと葬儀をしてほしいと感じたかと言えば、今の時点でそこまでの気持ちは持てなかったという部分が正直なところです。

自分が高齢になった際に、人のつながりも金銭的な余裕ももし無ければ、せめて火葬だけしてほしいという想いもどこか頭にあったりもするのです。

まあそうすると骨をどうするのか?という問いは出てきますが、それとてその年齢になった時に田舎の墓に戻れるかはわからないですからね。

とても勉強になった本ですし、いろいろと知識を学べる本でしたが、私自身のことについてはまだいろいろ考えないといけない部分がありそうです。

 

 

 

関連記事

ページ上部へ戻る